私は思ふ。

あるがままの心を素直に表現できたら、人生ってどんなに素敵だろう・・・☆

気を使う・・・

最近分かった事は、物心ついてからず〜っと”気を使って”生きてきたと言うことだ。

 

原点を考えると、幼少期、離婚を前に、父と母が毎晩けんかをしていた。

母親の泣き声が一階から聞こえて、二階の階段からそっと覗いてみていた記憶がある。

 

その後、母と姉と上京し、祖父母と共に生活をする訳だが、

いい孫でいよう!いい子どもでいよう!!とわがままで泣き虫だった自分を葬り去り、模範囚のような子どもへとある意味、生まれ変わったのだ。

 

子どもながらに感じた事は、大人に認められるよう「いい子」でいる努力をすると、たくさんの大人が、褒めてくれ、可愛がってもくれ、いろいろな意味で重宝してくれた。

また、その「いい子」による認知は、社会的地位の向上と正比例する事も、学校生活やスポーツを通じて分かった。

 

それにより、私の出した結論は『目上の人に可愛がられる事で、人生は上手くいく』と言ったようなものだった。

 

しかし、そんなふうに子どもながらにして、ある意味要領よく、地位や手柄を獲得しながら生きていると、他の人間たちに、僻まれ、妬まれ、憎まれ、危害を受ける事も少なからずあった。

 

実はそれは、大人になってもある事であり、人が人と生きる上で、付きものなのか、それが社会というものなのか、ある種の人の本質なのか、苛まれる事は続いているのだ・・・

 

周りから見ると、恩恵ばかり受けて、おいしい思いをしやがって!!と揶揄される訳だが、そこにはある種の give and take があり、いい事ばかりではないのだ。

 

そう、それこそが本日のタイトルにある”気を使う”ということだ。

 

気を使う・・・

気を使う訳だから、気疲れをする。

気を使って、気疲れをする訳だから、身体も疲れる。

気を使って、気疲れをし、身体も疲れる訳だから、毎日も疲れる。

要するに”気を使う”とうことは、人生も疲れてくるのだ。

 

あぁ、気を使わずに生きれたら、どんなに楽だろうか・・・

しかし、気を使ってきたからこそ、今の人生が手に入った訳で、気を使った事がいけない、もしくは無意味や無駄であったという事も無く、むしろ、大きい見方をすると、非常に報われている原動力なのかもしれない。

 

でも、今の私は、気を使う事に疲れている・・・

気を使いたくない・・・

解放されたい!!

 

何からって!?

 

それが言えたら、どんなに楽か・・・

 

こうして結局のところ、このブログという世界でも、書きたい事を書いているようで、書いておらず、気を使っているのかな・・・

 

 

まぁFC東京がアウェーで勝ち点3をとったので、今夜はそれで由としよう☆

 

おやすみなさい。